ある日、友人がこんな話をしてくれた。
「飴細工の花には三つの美しさがあるんだ。飴をまるで違う色、形に変える職人の技術と情熱の美しさ。出来上がった花の美しさ。そして最後にはまた姿が変わるか、消えるという美しさがあるんだ」
本作をプレイしていて不意にこの話を思い出した。
その昔人間とモンスターは共存していたが、ある日お互いの間で争いが起きた。勝者は人間達で、モンスターは魔法の力で地下に封印されてしまう。
そして長い年月が経ち時は 201X 年。そこへ入るものは二度と戻れないという言い伝えのある“EBOTT”という山に主人公は足を踏み入れ、滑落し地下へ……そして物語が始まる、というのがオープニングだ。
また、どうやら主人公は人間であり、台詞を用意されていない無個性タイプのプレイアブルキャラクターとなっている。つまり、主人公はあなたを投影するのだ。
私は最初、本作に対して懐疑的だった。白状してしまうと“果たしてブームになるほどの作品なのか?”などと思っていた。であるが故に批評的な態度で臨んだし、分析的な目線を向けていた。そして登場人物と同化するようなプレイをしていない。
だが思いがけなく、次段以降述べる細やかなギミックを始めとする精緻な作り込みに心を奪われることとなってしまった。
本作は非常に緻密に編み上げられた作品で、そこかしこに作り込みがある。この何気ないシーンを見て欲しい。
どうだろう? これはつまり、プレイヤーが素通りするであろう些細な部分で、数パターンのバリエーションを作成するといったこだわりようを表している。何故これを素通りするであろうかというと、進行上この場面において引き返す必要がないのである。これはもしやと思い、試しに引き返してみたら、といった具合で発見することが出来た。
こういった細やかさは至る所で見受けられ(キャラクターの豊富な台詞パターンや、固有のテキストが用意されていて調べられる膨大なオブジェクト群など)作品に愛情が注がれていると言って過言ではない。何しろ個人制作による作業なのだ。作品に愛着がなければ些細な作り込みは看過するだろう。
私はこういった愛情や情熱の発露を見つける度に甘やかな溜息を洩らした。
本作ではモンスターを“[FIGHT]”というコマンドから攻撃をして倒してもいいし、戦いを回避することが可能な“[MERCY]”という選択もある。これは“[ACT]”というコマンドから展開される働きかけによって戦闘意欲を失わせ見逃してやり、お金だけを得て戦闘を終了できるというものだ。また、見逃す以外にも逃走を選べるが、この場合はお金を得ることは出来ない。いずれにせよモンスターとの戦闘を回避する場合経験値は得られない。
敵を倒せば“[EXP]”が得られ従来の RPG のように主人公が強くなる。攻撃システムはシンプルだが遊び心があり、ボタンを押して右へ流れるバーを止めれば攻撃になるのだが、止まった場所が中心からそれると当たらなかったりする、目押しとも言うべきシステムが採用されている。
そして最も本作の戦闘をユニークにしているのがシューティングゲームを組み込んでいるということだろう。敵の攻撃ターンではシューティングゲーム(ただし自弾を撃つことは出来ない)が展開され、そのシューティング要素は実にバラエティに富んでいる。弾幕が敵の個性に紐付けられていて、例えば敵が犬であれば犬の形をした弾(と言うより当たり判定のある犬)が飛んでくるといった寸法だ。その上、一種類の敵が持つ弾幕のバリエーションは複数ある。
本作の魅力は様々あり、まず前段で触れた戦闘だが、モンスターとの遭遇は絶妙なペース配分になっていて、初めて出会うモンスターがどんな弾幕を仕掛けてくるのかという楽しみがある。
シューティングパートの長さは数十秒ほどなので長くて面倒だと感じることもない。むしろ戦闘が単調にならない妙味がある。
そして上記の画像はほんの一例だが、ゲーム序盤のチュートリアルがとても丁寧で何をすればいいか、どのボタン(キー)を押せば何が起こるのかまで冗長にならないよう教えてもらえる。大抵こういった説明は面倒だと感じやすいが、本作では軽妙なテキストの魅力でネガティブな反応が起きづらいように作られている。まさに見事なバランス感覚だと言えよう。
この感覚が何をもたらすのかというと、より多くのプレイヤー、年齢や性別、ゲームに対するリテラシー、そういったものの多寡を問わず縦横斜め幅広い層にリーチしうる作品になるという事だ。実際のところ、本作のブームはこういったバランス感覚に寄るところも大きいだろう。
そして、何よりも魅力的なのが、
本作はゲームでしか行えない仕掛けを施しており、物語も非常に引き込まれる、ある種、魂が揺さぶられるような内容であるということ。
もしもこの記事を読んでいるあなたがまだ本作をプレイしていないのなら、是非プレイして自分の目で確かめて欲しい。この Undertale という作品の持つ、ある意味ゲームの歴史を遡り、そしてまた、ゲームの歴史を進めているという事実を。
記事で使用している画像では文章が英語だが、非公式の日本語化が存在しており(後々公式から日本語リリース予定)それを用いてプレイする事も可能だ。
もしもあなたがはやる気持ちを抑えきれなくなったのなら、非公式であっても日本語化 MOD を使用していいし、公式が下ろす日本語化を待つのもまた、どちらを選ぶ決意で満たすのかはあなたの自由だ。
Undertale は飴細工の花だ。 情熱をもって隅々まで作り込む美しさがあり、出来上がった作品の美しさもある。
だがしかし、この作品は、終わっても消えないでいる。
溶けた飴の甘やかな香りは漂い、この花は、姿を変えて心裡の奥底で咲き続けるのだから。