あなたは何かを失った経験があるだろうか。喪失感を抱えたことはあるだろうか。帰るべき場所は何処だろう。本作はそういった感情を惹起する、知性と感性のパズルアドベンチャー作品だ。
この世界ではまず、誰もがバックグラウンドを何一つ持っていない状態から始まる。バックグラウンドは、プレイを開始すると同時に放り込まれる世界、建物が持っている。いかなる説明も一切無いまま、あなたは目覚め、何処かの建物内をさまよう事になる。唯一ある手がかり、プレイ開始直後のあくびの声が男性のものであるという事だけを知りながら。
本作は日中と夜間(夢ような世界)の二つのパートで構成されているが、それぞれでゲームのルールが全く異なるものに変わる。 日中は歩く速度も遅く、光に近づくと視界が真っ白になってしまい、それ以上光源に向かって歩けなくなる。だから光を避けて進まなければならない。謎解きを迫られるのも日中だ。何度も何度も立ち止まりながら、考えながら進む。そうして触れることの出来る新聞やメモのようなものも、文字が判読不可能なので何のことかまるで分からない。それでは夜はどうなるか。
夜間、或いは夢のような世界のパートでは正反対の世界になり、辺りは真っ暗。日中に電源を入れたライトが点灯しているところだけが、進めるエリアになる。移動速度は走る速度といえる程度には上昇するが、決して立ち止まってはいけない。ひとたび立ち止まれば足下から湧き上がる暗闇に身体を覆われ、日中の世界に戻ってしまうのだ。一方で、判読不可能だった書類の文字が読めるのは夜間だけ。さらに、閉まっている扉を開くなど夜に起こした行動も昼間に反映される。そうやって二つのパートを行き来しながらゲームを進めるのが基本だ。
パズルアドベンチャーと言える本作は、理性と感性の両方で作品世界のバックグラウンドを読み解くことが求められる。日中には建物内に散らばる図形ブロックを拾い上げ、当てはまるアルファベットを推測する。夜間は文字が読めるという特性を利用して、その文字の正誤を確かめる。暗号のような規則性はないため、このような作業を地道に繰り返し、手探りで記号をアルファベットに置き換えていく必要がある。そうして読めるようになる文書から情報を拾い、世界の背景を読み解くのだ。
非常に知的な作品である本作の物語はプレイヤーの体験そのものでもあり、類推によって浮かび上がる背景も含めて奥深いストーリーラインをを実現する。終盤には非常にショッキングなシーンも訪れるが、それはいたずらにプレイヤーを驚かすだけのものではない。この世界が持っている物語の核心に迫る、重要なシーンだ。
この作品は照明を落とした部屋でひとり、パソコンのモニターライトに照らされながらプレイするのが似合うように思う。何故なら孤独感を自覚しながらプレイする事で、本作品の体験が本質に近づくからだ。
その本質は“獲得と喪失”だ。家とは何処のことなのだろうか。私達には、そして本作の主人公には帰るべき家があるのだろうか。家無き者は何処に帰るのか。何処に帰れというのだろうか。
本作は「あなたは何者だろう」という問いを投げかける。あなたとは主人公のことであり、プレイヤーであるあなた自身のことでもある。自身が何者であるかを上手く説明出来る者はそう多くない。だから手掛かりを探す。その手掛かりから自身を説明付ける。
ホームシック、それは“元居た場所”へ帰りたいという情動、感覚、心境を指す。
私達は何処からやってきて何処へ向かうのか、そして何処へ帰るのか。本作はプレイヤーに対し、いまだ知れない郷里への帰巣性を呼び起こす力がある。
誰かがもう帰ろうよとささやく。
何処へ、いつになったら帰ればいいのか、本当に帰るべきなのか、誰にも分からないんだ。
本作の結末を見届けて、暗い部屋の中でひとりモニターライトに照らされながら、私はふとそう思った。