今回ご紹介するのは恋人や家族・友人との絆の強さが、あるいは右脳と左脳との連携の円滑さが問われるゲーム。ざっくり言えば、リブルラブルのSuicidalモード(※)である。
※自殺するに等しい高難易度
実を言うと機会に恵まれずリブルラブルを遊んだ経験はないのだが、識っていれば恐らく一番わかりやすいはずなので引き合いに出す。リブルラブルはファミコン本体と同世代のNAMCO製アーケードゲームで、コンパネにはボタンが存在せず、代わりに一人用だがスティックが二本あるという変わったインターフェイスを備えている。
画面にはそれぞれのスティックに対応した自機が二機同時に存在し、その間に張られたゴム紐状のものをステージに点在する杭に引っ掛けて伸ばし、それと外周を使って閉じたエリアを形成すると範囲内の敵を殲滅できるという「囲む」がテーマの作品だ。
右手で一機、左手で一機と別々の操作をするのだからそりゃあもう混乱する。脳にそれ用の回路が構築されるまではまったく太刀打ちできない。ためしに空中に右手で△を、左手で□を描いてみるとすぐに体感できる。実際は状況に応じて左右で描くべき図形が刻々と変化するのだから堪らない。
だがちゃんと工夫の余地はある。例えば一機をさっさと安全圏に逃してしまい、もう一機の操作に専念するといった手段で比較的楽にはなるわけだ。ではそれを封じてしまったらどうだろう。二機が遠く離れられないように、伸縮性のない紐に変えたらどうなるのか。その体現が本作Red Ropeだ。
「彼」と「彼女」は腰のところを赤い紐で繋がれて、異形うろつく迷宮へと落とされる。辺りはトゲや奈落などお馴染みの危険で溢れており、二人揃って生き延びることは容易ではない。けれどどちらか一方でも死ねば他方も自動的に死んでしまう。また紐が切れてしまった場合も同様である。脱出できるのは強い絆で結ばれた者達のみだ。
できることは常に二人いるキャラそれぞれを歩かせることだけ。ただし紐の長さには限りがあり、行動可能な範囲は相方の位置に依存する。その制限の中で敵のすぐ脇をすり抜け、紐で巻くことが主な攻撃方法だ。
理想はパッドを二個使った二人での協力プレイらしいが、COOPはローカル画面共有のみなので以下ソロプレイの前提で書く。
これがまあ難しい。操作自体は右手にしろ左手にしろスティックないしWASDでただ8方向へ入力するだけでいいのだ。なんら特別なボタン操作を要求されてはいない。なのにできない。生まれて初めてビデオゲームをした人みたいになる。自分から敵に当たりに行ってしまい、あまりの不甲斐なさに思わず机とか叩いちゃう。そのくらい難しい。
二人なら二人で今度は意思統一という難題が立ちはだかるのだろうが、本稿執筆時点でリーダーボードに記録を残せた(=クリアできた)人間が全世界で13人しかいない。発売からはちょうど半年ほど経過している。残機は100機も持った状態で始まり、また途中でもう100機やそこらは買い足せるというのにこれである。
とにかく紐が伸縮しないのがキツイ。そして初期状態の短さがエグい。
これが限界まで離れた状態だが、人間ひとりの肩幅を1とすると精々5しかない。同サイズの敵が単純な円筒形の当たり判定を持つとすると、ぐるっと巻くのには最低でも3ちょっとが必要になる。
残された分で敵と接触しないように距離を取れというのだからどうかしている。敵だって止まってはいないのである。
どうせなら昔あったプラモ漫画の悪役みたいに通過するだけでスパッと倒せないもんかなと思うわけだが、そう甘くはないのだ。
一応紐はモブ含め何かを殺すことで少しずつ継ぎ足されて長くはなるのだが、死ぬとあっさり元の長さに戻る。ポンポン死ぬゲームなのでほぼ常時初期状態だ。また長いと長いで今度は二人一緒に歩くと引き摺ってしまい、紐を切られないよう守るのが困難になる。
幸い二人プレイを推奨しているせいか操作対象を入れ換えてくる罠だけは見ていないが、右手担当キャラが画面左に、左手担当キャラが右にいるだけで簡単に惑わされる。普通の地面ですらそんななのに、そこからさらに床全部がトゲで動く足場を乗り継ぐ、床全部が同じ場所に留まると崩れる素材、床全部がベルトコンベアで壁がトゲ、床全部が奈落でスイッチを押すと短時間だけ足場が出る、床の一部が乗ると操作の上下左右が反転する(!)という、意地悪さの見本市みたいになっている。
ラスボスを撃破した瞬間に「二度とやらねぇ!」と決意する程度には鬼畜難易度だが、そういうものだという心構えを持って挑む分には歯応えがあって楽しめる一品だ。
ちなみにクリアするとゲーム中に数多存在するモブのひとりになる権利が得られるのだが、その申請ついでにリブルラブルの影響を受けたのか訊いてみた。すると「前に同じことを訊かれてその時に初めて知った」とのことなので類似性は偶然だそうだ。収斂進化(※)みたいなものだろう。
※全く別系統の生物が機能性を追い求めた結果似た外見になること
思えば高橋名人のファミコン体操も左右の手に別々のアクションをさせていた。脳みそを柔らかくするにはそういう動作をさせるのが最適なのかもしれない。筆者は二度とゴメンだと思っていたはずなのに、しばらく冷却期間を置いた今はもうちょっとやりたいなと思い始めている。できなかったことができた、そんな原始的な喜びを喚起された。