さて今回紹介するこのタイトルなのだが、筆者は最初から敗北宣言をしなければならない。このゲームにあふれる魅力を文章だけでお伝えすることは不可能である。ライターとしてはなかば仕事放棄のようだが、代わりに2分にも満たない短い動画をご用意したのでまずこちらをご覧頂きたい。
人差し指にとんがりコーンをはめたオレンジの兄ちゃんと悪堕ちしたお姉さんが朗々と歌い上げる様をご堪能頂けただろうか。ちなみに彼らは主人公でもヒロインでもなんでもない、出番はこのステージ限りのゲストキャラである。でも歌う。めっちゃ歌う。主人公そっちのけで歌う。
続いてこちらのさらに短い動画をご覧頂こう。
朽ちかけた前任者が主人公に「ジャンプボタン長押しで滑空できるよ」と伝授するだけの場面である。なのに歌う。とにかく歌う。プレイヤーほったらかしで歌う。なぜって、ここでゲームのタイトルを振り返ってほしい。Karmaflow: The Rock Opera Video Game。本作はビデオゲームであると同時にロックオペラ、つまり踊らないミュージカルなのだ。そりゃ歌うわ。このことを軽く受け止めていた筆者は初回起動で度肝を抜かれた。ちょっと立ち上がりに時間がかかるなと思っていたら、タイトル画面やデベロッパーあるいはゲームエンジンのロゴといった一切の前置きなしに、デスクトップ画面が暗転した次の瞬間にはもう歌が流れていたからだ。
さて改めて紹介しよう。このどことなくイカっぽいのが我らが主人公、カルマキーパーくんである。
彼はその名の通り宿命の番人。カルマを視認し、対象からカルマを抜き取りその活動を停止させることと、逆に保有しているカルマを吹き込み本来の活力を取り戻させてやることができる。これによって植物を急成長させて足場を作ったり、行く手を阻む障害を萎えさせて道を拓いたりしながら進む。システムとしては背後視点のジャンプアクションだ。手持ちカルマといった情報はすべて背中で示され、ゲームっぽいHUDを排除してオペラへの没入感を高めるつくりになっている。
そしてカルマキーパーくんの使命は世界の調停である。ステージ毎にいくつもの異なる世界を巡るオムニバス形式だが、彼が必要とされる派遣先というのは本質的になにかをやり損なっている。各世界にはそれぞれに調和を保つ役目を担った守護者がおり、冒頭の動画のオレンジな兄ちゃんことコンダクターさんもそのひとりだが、その力や閃きの源であり最愛の恋人でもあったミューズさんを失っている。彼女は闇のささやきによって変質してしまい、それは死にも等しい不可逆なものらしい。コンダクターさんは懊悩し、世界のバランスは失われていく。だが喪失は受け入れがたく、もはや二進も三進も行かない。
そこでカルマキーパーくんの出番だ。プレイヤーはカルマの抽出または注入によって、停滞した彼らの物語を次のフェイズに進めなくてはならない。いっそ彼も闇に落として恋人と添わせてやるか、一人で生きる勇気を与えるか。前者であれば本人たちは幸せでも世界の綻びは止められない。一人でも守護者の大役を全うする能力があるならこんな事態にはならないわけで、後者では彼にさらなる茨の道を強要する上に、解決になるのかわからない。
結局どちらを選んでも彼女が生き返ってハッピーエンドとはならない。できるのはどう損切りをするか、どう埋没費用に見切りをつけるかという敗戦処理に近い。明確な正解はなく、選んだ展開に沿った終幕が描かれてひとつのストーリーにピリオドが打たれる。そしてまた次の世界へと旅立つのだ。
つまるところ、Karmaflowはいわゆる雰囲気ゲーと呼ばれるジャンルのゲームだ。複雑な操作もタイミングがシビアな入力も、さほど求められはしない。なんとも不可思議な生物が息づく異郷を旅しては歌によってその窮状を知り、選択できないもの達になり代わって運命と云う名の大鉈を振るう。そのあとはどこか物悲しい行く末を見届ける。ドキドキハラハラよりは、どちらかと言うとしみじみと楽しむゲームである。
美しい景色を創り出すことに腐心しすぎたのか次の目的地への誘導が稚拙でよく迷子になるし、商業的な成功とは縁遠そうな印象を受ける。けれどもその分デベロッパーが目指したロックオペラは一級品だ。少なくとも筆者の心は根こそぎ持って行かれた。発売当初は19.99ドルとSteamにおいては高価な部類であったが、安売りを見掛けた際には思わず本作をウィッシュリストに登録していたフレンド全員分のギフトを購入した。誰かとこの気持ちを共有したかったからだ。そうしたくなる熱量をこのゲームは持っている。
ちなみに筆者はあまり、というかはっきりと英語が得意ではないので、歌に合わせて消えていく歌詞字幕を追うのは荷が重い。だが一説によれば「歌う」の語源は「うったふ(訴ふ)」であり、聞く者に想いを伝えようとするのがそもそもの目的なのだそうだ。なんて言っているかはわからなくとも、なんとなく言いたいことはわかる。それが旋律の、歌の持つ力である。旅先で出会った現地の民族音楽くらいに考えて、音のうねりに身を任せてみよう。あなたの中に息づくカルマを感じるかもしれない。