■お断り: 本稿では目の不自由な方について言及していますが、日本盲人会連合や東京都盲人福祉協会といった支援団体が存在することを鑑みるに、「盲人」という表現は一般に許容され得るものと判断して表記をこれに統一しています。あしからずご了承下さい。
見えないなにかに怯えていきなり逃げを打つ導入で始めてみた今回は、「見えない」がテーマの芸術作品系ゲームの紹介だ。
主人公は年端もいかぬ少女で、ある日事故により視力を失う。一人で動き回れるのは自宅とその庭まで。時折遊びに来る人懐っこい猫だけが友達だ。だがある日少女は言い知れぬ不安を覚える。いつもと同じように帰っていったはずの猫と、なぜかもう二度と会えない気がしたのだ。その予感めいた心のざわつきを否定するため、なけなしの勇気を振り絞り少女はひとり外へと通じる門を潜る、と言った粗筋。
彼女にできるのは一歩一歩噛み締めるように歩くことだけ、という設定を忠実に反映させ、実際のシステム上でも他に取れる行動はない。走ることはできないし、アクション性もミスや死亡の概念もない。ゆっくり歩いて万華鏡のように変化する美麗な画面を楽しむだけの、絵本のようなゲームである。
さてここで一旦話を脱線させる。
時代劇や歌舞伎など、今よりも医療が未熟な時代を舞台にした創作物にはしばしば盲人の按摩さんが登場する。落語の席でそんな時にくすぐり(※)気味に語られるのが、先天性の盲人と後天性のそれは歩き方で判別できる、という嘘か本当かわからない豆知識だ。
※お客さんを飽きさせないために本筋とは関係のないところで笑いを取る行為。
生まれつきの盲人というのは成長段階で勘が養われ、また危険なものを見たことがない。自動車を知らなければ轢かれる怖さもわからない。故に恐れ知らずで、どうかすると杖を肩に担いだりして堂々としている。
一方で事故や病気で成人してから視力を失ったものは闇が怖くて仕方がない。腰が引け、杖を頼りに手を前に突き出しておっかなびっくり歩く。どうにも挙動不審になり、こいつ怪しいと道端の犬に吠えられてますます怯えたりするそうだ。
その点本作の主人公は子供である。これまでに色彩に満ちた世界を経験しており、光の存在を、陽の降りそそぐ花壇の美しさを知っている。その上でまだ、それらを視ることが叶わなくなった生活に順応するだけの柔軟性を残している。
そうして形成された少女は、靴底を通して足の裏で感じる地面の感触、肌を撫でていく風とそれに運ばれてくる草の香り、周囲の音とその反響、そしてもちろん手で触れたものを頼りに辺りの様子を推察し、脳裏にその情景を描き出して記憶するという稀有な能力を獲得する。
このゲームでプレイヤーが目にするものは、つまるところその少女の思い描く夢想の世界だ。彼女はゆっくりと足を進めながら付近の気配を感知し、そこに在るものを把握して少しずつ情景を描き足していく。
それは大人社会のような清濁入り混じったものではなく、世界は美しいものだと信じられる無垢な心で捉えた幻想の世界。街灯一本敷石ひとつに至るまで、あらゆるものが優しく暖かい。
かと思えば不吉な物音に不安を覚えると途端に薄暗い色調に変化し、不確かな心の有り様をそのままに反映している。
内容としてはこれでほぼすべてだ。驚くようななにかは待ち受けていないし、2時間も遊べばエンディングを迎えている。しかしそれでいいのだ。小粒のネタで無理にプレイ時間を増やしても、それこそ水増しの言葉通りに薄まるだけだ。
壮大な冒険や冗漫な飾り立ては必要ない。本作では変に気負わずに、ただ少女の想い描くきれいな世界を鑑賞すればいい。その部分では期待を裏切らない。この世界を自分で歩き回りたいと思えばそれは叶えられる。
個人的になにより評価したいのは、未踏部分を盲人だからと安易に黒一色に染めず、逆に真っ白にしたことだ。何色で塗り潰そうと見えないという事実に変わりはない。だったらそこは少女が世界を描くための白紙のキャンバスでいいのだ。この決定には惜しみない賞賛を贈りたい。
正直に言ってしまうと、本作をプレイ中に睡魔に襲われたことがある。けれど不思議と「眠くなるほど退屈」という負の印象があまりない。ゲームとはすべからくプレイヤーに興奮をもたらすべしなどという法はないのだから、平穏や鎮静をもたらすゲームがあっても構わないはずである。
寝る前にひとつだけ章を進め、優しい気持ちで床につく、そんなプレイスタイルが似合うゲームがBeyond Eyesだ。そこまで考えて気がついた。それはまさに絵本との付き合い方ではなかろうか。