『I am Setsuna (いけにえと雪のセツナ)』雪溶けに轍を残す旅順

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定価:
4,800円
OST
1,480円(バンドル:5,661円)
SHINJI-coo-K 筆者:SHINJI-coo-K
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I am Setsuna (いけにえと雪のセツナ)

奇妙な言い回しになるが、本作は喪失を獲得する物語、行方のない魂の旅路を描いた作品だ。

本作の主人公は「エンド」と呼ばれる青年で、傭兵稼業に就いている(一応、主人公も仲間も名前変更は可能だ)。彼は常に仮面を被っており素顔は分からない。そのエンドにとある依頼が舞い込んでくる。それは「ある少女を暗殺してほしい」というものだ。
本作の世界では十年に一度「いけにえ」を捧げることによって魔物の凶暴化を防ぐ、という儀式がある。そのいけにえに選ばれたのがヒロインである「セツナ」で、彼女こそがエンドに依頼された暗殺対象の少女である。本作では彼女を中心として物語が展開していく。暗殺を請け負っていたはずのエンドは奇妙にも、セツナがいけにえとなる旅路の護衛隊に加わるという運命に巻き込まれる。

I am Setsuna (いけにえと雪のセツナ) エンドは選択肢以外に台詞を持たない

本作は不朽の名作『クロノトリガー』に影響を受け、オマージュを込めて作られたJRPG作品という惹句を持つ。よってシステムの大部分が当時の(そう、スーパーファミコンが円熟を極めたあの頃だ)RPGライクで、オートセーブはなく、進捗を保存する状況は限られている。その上ボスとの戦闘は気を抜くとすぐに全滅しかねず、ある程度の用心深さを必要とする。これらよしとするかはプレイヤー次第だろう。しかし、本作のテーマになぞらう刹那的なムードを担っているともいえる。

I am Setsuna (いけにえと雪のセツナ)

当時のJRPGを再現するという開発陣の狙いはおおむね達成されている。しかし、当時のJRPGを今の目線で見ると厳しいという問題もある。セーブのし忘れで一時間以上のプレイ時間が無に帰す事を好ましく思うプレイヤーは少ない。当時の最先端の仕様も、現代の目線で見た時には許容されない恐れがある。当時は「仕方なく」不便だったという点は失念すべきではないだろう。これはあらゆる回帰的作品に言えることだ。

I am Setsuna (いけにえと雪のセツナ) クロノトリガーぽい連携技もあるが、実はクロノトリガーの名を出す必要性が薄い作品
◆本作のシステム

戦闘システムでユニークなのは、攻撃や魔法に追加効果を付与出来る「刹那システム」というものが導入されている点だろう。戦闘はアクティブタイムバトル(行動がリアルタイムで可視化されているそれ)で、時間経過や各種行動によって刹那システムのゲージは溜まっていく。任意の行動を取るときに所定のボタンを押せば発動できる。

また、モンスターを倒すと「素材」が取得できる。それを売って金銭に換えるのが主なお金の貯め方だ。素材の中には緑色で表示されているものがあるが、これは貴重な「料理用食材」となっている。、料理はパーティに有用な効果をもたらすため、できれば売らず取っておこう。
敵が落とす素材は複数のパターンに分かれており、前述の「刹那システム」で倒せば「セツナキル」となって「セツナキル専用ドロップアイテム」を落とすといった仕掛けがある。これらの「キル」によるアイテムドロップはその他のキル方法によるドロップとも重複できるので、例えば「セツナキル」かつ「ジャストキル」(敵の残り体力値ギリギリでのとどめ)で倒せばその分のアイテムドロップが見込める。店に売った素材が購入解放条件となっているアイテムもあるので、緑表示以外ドンドン売っていこう。

I am Setsuna (いけにえと雪のセツナ)

また、メニューから「雪世界の記憶」という項目を選べば、各種アイテムのデータベースや物語の進行を確認できる。キャラクターのプロフィールや作品世界の地理も網羅されており、一度プレイから遠ざかっても再プレイが容易な点も優れているといえるだろう。

I am Setsuna (いけにえと雪のセツナ)
◆本作における物語

ストーリーはリニア進行のため、選択肢によって物語が変化することはない。では選択肢の存在がいったい何に作用しているかというと、物語への没入感だろう。例えばプレイヤーの取る選択肢により対面する人物のリアクションが変わり、まるで主人公がプレイヤーの性格を反映しているかのような錯覚を覚えられる。

本作においてプレイヤーを牽引するのは「謎」だ。なぜいけにえが必要なのか、なぜいけにえによって魔物の凶暴化が防げるのか。そして何かを知っているとほのめかしてくる「クオン」という仲間の存在。これらの謎は、喪失に向かう旅で少しずつ明らかになっていく。

I am Setsuna (いけにえと雪のセツナ)

また、セツナは比喩的な意味でも実質的な意味でも「聖女」であり、自己犠牲、献身の象徴として描かれている。憎しみという概念を持たない存在だ。故に、真に人間を描いていないという指摘もあるかもしれない。
しかしながら、死とは何か、それを素朴で木訥(ぼくとつ)な表現で、ある種の寓話として本作は描いている。そしてその点はぶれる事が一切無い。芯を通したコンセプトが、本作における感動的なエンディングに繋がる。

I am Setsuna (いけにえと雪のセツナ) 時折訪れる心の交流は、過酷で厳しい旅の癒しと言えるだろう
◆サウンドとアート面

戦闘など一部を除くミュージックスコアの殆どはピアノの独奏で成り立っており、それにも関わらず、スリリングな楽曲から壮大な楽曲まで多様な表現を実現している。音楽は本作における重要なエレメントで、このドラマチックな楽曲群を除いて本作は成り立たないとすら言える。

I am Setsuna (いけにえと雪のセツナ)

アート面については、辺り一面の銀世界が冬に感じる心細さを想起させる。キャラクターが歩いたあとにはきちんと轍が出来るあたり、芸は細かい。随所に工夫が凝らされたビジュアルは、雪が樹上から落ちてくる「どさり」という音と幸福な共犯関係にある。吹雪の家鳴りや雪を踏みしめる音も、実にアートとマッチしている。

◆本作の総体
I am Setsuna (いけにえと雪のセツナ)

語弊を恐れずに言うが、本作には褒めるべき点は少なく、問題点も多い。しかし間違いなく良い作品だ。そういった奇妙な評価を下すのは、本作へ投げかける視点が二つ存在するからである。ひとつは90年代後半に回帰した作品としてみる視点、そしてもうひとつは、あくまで現代の作品としてみる視点だ。前者の視点では優れた点が多いかもしれないが、後者の視点では及第点の方が多い。
また問題点が多い本作を「良い作品」たらしめる最大の要素は、その突出したエンディングだろう。エンディングのシーケンスは決して饒舌には語られず、必要最低限だけをほのめかす。故にプレイヤーは想像を巡らせ、感情を揺さぶられる。本作を三時間でやめたプレイヤーと、エンディングまで進めたプレイヤーとでも評価には温度差があるだろう。

◆最後に
I am Setsuna (いけにえと雪のセツナ)

雪溶けに雨が降り、大地からは花が咲き、暖かな空気が流れ出す頃、ふと振り向くと轍が残っている。『Tokyo RPG Factory』が残したその轍を、いつか踏み直す者が現れるような嬉しげな予感がする。
尊敬の貨幣を使い作り上げられた本作は『クロノトリガー』の轍を追う作品となった。
原典を持ちながらにして、新たな古典となるようなその出で立ちは美しい。

”いけにえ”という誰かの死によって、大勢の死と破滅を免れ続ける世界はいびつだ。如何にしてその螺旋に“終焉”を導くのか、さもなければ“刹那”の静寂を延々と歩み続けるのか。そういったテーマに一切のぶれを持ち込まずに挑んだ開発陣は、JRPGに“久遠”の価値を与えた。

日本のRPGに冬の時代があるのだとしても、冬は必ず終わる。

それは、開発陣の望む景色が好きな色でやってきますように、という願いでもある。

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